
徳川時代の黎明期を支えた伊奈氏がお役御免になるまでの江戸時代初期から中期に存在した赤山城。
埼玉県川口市にあり、現在は公園として残っている城跡。
お堀の跡だけは、しっかりと整備されているので見学出来る。
他の城跡と同様やはりここも建物は全く残っていないのだが、伊奈氏の功績である社会資本整備の痕跡は現在も関東に残っており、地元では人気の高い殿様だったようだ。

伊奈氏について…
現在の長野県伊那郡の出だということで、「伊奈」の姓を名乗ったと云われている伊奈氏。
初代が徳川家康に仕えたことで、埼玉県の伊奈町に屋敷を構え、江戸幕府の有力な代官として各種の公共事業や与えられた領地の統治を行った。
本能寺の変の際も家康が命からがら逃げ延びてからは、その時の功績から徳川家より代々重用され、幕府の中で重責を担った。
利根川の水路事業などの社会資本を整備し、城下では、庶民のための政治を行ったことで、城下の人々からも人気があったようだ。
しかし、残念ながら跡継ぎ問題等で13代目にして改易となったが、過去の功績からか旗本として仕官を続け、現在もその家系は絶えていない。
令和の現在、本陣跡は林となっていて、当時は4棟ほど建物があったそうだが、今で云う「城」という豪華絢爛なイメージの建物ではなかったようだ。
ちなみに、埼玉県伊奈町にあった伊奈氏屋敷跡にある頭殿権現社は長徳年間に太田道灌が勧請し、伊奈忠次がこの地(赤山)の陣屋に入ったのちに営繕して陣屋の守護神としたそう。