和楽備神社

和楽備神社は、室町時代に蕨城主の渋川氏が八幡大神を祀り創立。江戸時代に蕨八幡と称し成就院が管理。明治時代には国の管理となり和楽備神社に改称。昭和になり宗教法人和楽備神社となって現在に至る。

和楽備神社 境内案内図

この和楽備神社付近が蕨城の本丸であったと云われていて、神社に隣接する御殿掘の名残である神池の南側一帯が蕨城であったらしい。

蕨城は、南北朝時代に足利氏一門の渋川義行氏が館を構え、大永四年(1524年)に北条氏綱により攻撃され陥落。その後、戦国時代には戦の度に勢力が入れ替わったようだ。

江戸時代の初めに徳川家の鷹狩り用の御殿(休憩地)としてこの城跡が利用された。

江戸時代に記された絵図面によると東西が沼と深田で囲まれた微高地上に、幅約11.8メートルの囲堀と、幅約8.2メートルの土塁めぐらし、堀の内側の面積は約12200平方メートルとなっている。

かつては城の南側に堀と土塁をめぐらせた約21650平方メートルの外輪地があった。北側にも堀と土塁の構えが見られるが、今ではわずかに堀跡と要害、高山などの俗名を残すのみとなっている。

現在は蕨城址公園として整備され、市民の憩いの場となっている。

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